福岡市天神の英語専門塾GCA・代表のグッチャンです。 「慣れる」前にまず「習う」ことも大切です。
環境によって学習法は変わる
英語の教材や学習法の謳い文句に「ネイティブはこうやって覚えている!」とか「バイリンガルの勉強法!」といったものがあります。
それらの学習法はたいてい、日本語を介さずに英語が理解できるよう、とにかくオールイングリッシュでインプットするというものです。
確かに帰国子女などのバイリンガルやネイティブスピーカーの英語力は、学習者にとって究極の目標ではあります。
しかし、学習方法まで彼らのマネするのは禁物です。
なぜかというと、ネイティブや帰国子女と、日本語を母語として生まれて長年日本に住んでいる私たちとでは置かれている環境がまったく異なるからです。
たとえば、大半のネイティブや帰国子女は「現在完了形(present perfect)」「前置詞(preposition)」といった基本的な文法用語すら知らないでしょう。
便利な文法用語の助けを借りなくても,毎日十数時間の十分な時間とオールイングリッシュの環境があるおかげで、彼らは「習うより慣れる」ことができるのです。
ちょうど日本語を母語とする私たちが「-ナ形容詞(-na adjectives)」「意志形(volitional form)」といった日本語の文法用語を知らなくても、自由に日本語が使えるのと同じです(実際、日本語専攻の外国人学生はこのような文法用語を使って日本語を学んでいるのです)。
英語環境に一日中いるわけではない私たちは「慣れる」前にまず「習う」ことを捨てるべきではありません。
大学入試改革に関して「文法偏重からコミュニケーションできる英語へ」という論調がよく見られますが、本当にも誤解を招く表現です。
文法を「習う」ことそのものは、英語環境にない日本の中高生がコミュニケーションできる英語力を身につけるために不可欠なものです。
真の問題は文法を「4択・穴埋め・並べ替えクイズ」に貶めているテスト対策偏重の英語教育なのです。
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一方で近年、「習うより慣れろ」とばかりに、日本国内でもオールイングリッシュの環境を作ろうとする動きが盛んになってきました。小学校から国語以外の教科をすべて英語で授業し、学校内では日常会話でも英語を使うという私立学校もあります。
そういう環境で育てば、確かに英語は使えるようになるでしょう。
ですが、たとえば 「photo synthesis」「carbon dioxide」は知っていても「光合成」「二酸化炭素」という言葉を知らない、「文明」「憲法」という日本語の前に「civilization」「constitution」 という英語が出てくるような日本人を育てることが果たして望ましいことなのか、十分な議論が必要ではないでしょうか。
英語を用いて初等・中等教育を行なうのは、良いか悪いかは抜きにして、明治以来の先人の尽力の賜物である母語による科学的思考を放棄するということです。
それはグローバル化した現代世界では必然的なことなのでしょうか。
さらに言うと、そもそも「グローバルな日本人」とは一体どのような人間を指すのでしょうか。
GCAは引き続きこの問題を掘り下げていこうと思います。